
オシム監督プロフィール
Ivica Osimプロサッカー監督。
本名はイバン・オシムでイビチャは子供の頃につけられた愛称。他にイヴィツァ、イビカなどの表記法がある。
ボスニア語本来の発音ではイヴィツァ。
1941年5月6日生まれ。旧ユーゴスラビア、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ出身。
■選手時代
1960年にサラエボのFCジェリェズニチャルでプロとしてのキャリアをスタート。
1964年にはユーゴスラビア代表FWとして東京オリンピックに参加。対日本戦では2点を決めている。代表として16試合出場、8得点。
ちなみに大阪長居球技場で行われた順位決定戦で日本と対戦、Jリーグ川渕会長と対戦している。(川淵氏27歳、オシム氏23歳。)
あのうっかりハチベエと40年後に再開するとは夢にも思っていなかっただろう。
ユーゴスラビアでは国外のクラブへの移籍には年齢制限が設けられていたため、1970年に28歳でフランスのストラスブールに移籍をする。以降フランスのクラブを渡り歩き、1978年に再び戻ったストラスブールで現役を引退する。
1960-1970:FCジェリェズニチャル
1970-1972:ストラスブール(FRA)
1972-1975:セダン(FRA)
1975-1976:ヴァランシエンヌ(FRA)
1976-1978:ストラスブール(FRA)
■指導暦
引退した1978年に古巣FCジェリェズニチャルでコーチとして指導者のキャリアをスタートさせ、84-85シーズンにはUEFAカップに出場、ベスト4まで進んでいる。
1986年にユーゴスラビア代表監督に就任、若手選手を多用して望んだ90年のワールドカップ(イタリア大会)では、チームをベスト8に導いている。起用された若手選手の中にはドラガン・ストイコビッチ、デヤン・サビチェビッチらがいた。
1991年の夏にスロベニアとクロアチアがユーゴスラビア連邦から離脱し、続いて1992年にボスニア・ヘルツェゴビナが連邦の離脱を宣言すると、ユーゴスラビア軍が故郷・サラエボに侵攻。これに対してオシムはユーゴスラビア代表監督を辞任する(この後FIFAはユーゴスラビアの国際大会からの締め出しを決定。92年欧州選手権出場権も剥奪されている)。
1978-1986:FCジェリェズニチャル
1982-1984:旧ユーゴスラビアオリンピック代表監督
1986-1992:旧ユーゴスラビア代表監督
1991-1992:パルティザン(国内カップ優勝)
1992-1994:パナシナイコス(ギリシャ)
1994-2002:シュトゥルム・グラーツ(オーストリア1部リーグ)
2003-
ジェフ市原(2005年よりジェフ千葉)監督
シュトゥルム・グラーツではリーグ優勝3回
チャンピオンズリーグへ3度出場をしている。
経歴だけをとっても偉大な監督である。
2003年からJEFユナイテッド市原(現・JEFユナイテッド市原・千葉)の監督に就任。ベングロシュによって低迷から脱したJEFの改革を更に推進させ、主力選手の放出を乗り越えて、毎年好成績を積み重ねる手腕は高く評価されている。
試合後の会見や、雑誌などのコメント、インタビューはユーモアに富み、特に記者会見で哲学的に語られるコメントの数々は一行の詩で「オシム語録」と呼ばれ、サポーターからも愛されている。
現在65歳と監督としてもかなりの高齢
体調に若干不安を抱えているらしく
血行、心拍に問題があり、
アスピリンが手放せない状態だという。
*おまけ
ジーコの後任としてサッカー日本代表監督に本命視されている。
選手育成の観点・日本サッカーの基盤であるJリーグ・クラブチームの発展などを考えると
から見ればジェフに残ったほうがよかったのではとか個人的には思っていたり思っていなかったり。
また年齢・体調的な面からしても4年というスパンを前提にした依頼はどうなのよ川渕さん
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